何の保証もないのに、安定した総合病院をやめて起業!それでも不安がなかった理由

\月の記憶の声を聴く人/

月の記憶の声を聴くと
本当の自分に出逢える!

「あなたの人生最悪!」という占い師一言から始まった占星術の探求
 ➡鑑定人数10000人越えの占星家へ

➡みぶき えみの世界観はこちらから
➡X(Twitter)はこちらから

私は、40代前半で、安定した総合病院の看護師をやめて、起業した。

あの時は、起業なんて言葉もほとんど頭になくて、新しく出会った、カラーセラピーのお仕事をしたいっていうだけだった。

自営のノウハウも何もなく、領収書をもらってたら、誰かがそのお金をくれるくらいに思ってたんだから、見切り発車もいいとこだ。

なのに、どうしてうまくいったのか?

起業物語はこちらから

星の表現者:未生希(みぶき)えみのプロフィール

40代の前半は、本当に怒涛の時期だった。

2005年にカラーセラピーに出会って、1年後の2006年には、副業として起業。

副業が許可されてるのかどうかなんて、全く気にしてなかった。

2007年、子宮全摘の手術をするけど、本格的に起業するために必要なプロセスとしか、捉えてなかった。

2008年3月に退職し、次男が東京の大学へ行くのを機に、ひとり暮らしが始まる。

4月に今の夫に出会い、引っ越し、結婚。

安定した職を手放すというのは、どんな時代であっても、不安なものだ。

そして、新しい選択に対しての、リスクを考えるだろう。

でも、この時の私は、全く不安がなかった。

未来をイメージし、そうなると信じて疑わなかったのだ。

今、脳科学×心理学×潜在意識を学んだ視点で見てみると、腑に落ちる。

未来のイメージを持ち、そうなるんだという強い意志があって、過去の経験から、何かを割り出そうなんて、していないのだ。

退職のセレモニーの時も、サロンを始めている自分をイメージしては、にやけてたくらい。

そして、退職するにあたり、ほとんどの人に反対されたけど、自分でやめると決めたこと。

誰かの保証とか、そんなものじゃなくて、自分がやりたいからやる、それだけだった。

だから、病状の割には、早く回復したし、軌道に乗るまでの間を支えてくれる、夫にも出逢うことができた。

病気をやめることも、好きなことを仕事にすることも、どんな考え方でいるのかは、とっても大切だ。

よく聞かれることがある。

私のプロフィールを読んで、「私の転機の時期に、大きな選択をしたら、えみさんみたいになりますか?」って。

こう聞いてくる時点で、うまくいかない考え方だ。

私は、起業の時は、脳科学×心理学×潜在意識のことを、何も知らなかったけど、たまたまうまくいく考え方をしていた。

本当にラッキーだったのだ。

だけど、このラッキーの仕組みを、ひも解く現実がやって来る。

起業後、脳科学×心理学×潜在意識的に、良くない考え方を続けたことで、仕事はうまくいってたけど、身体を壊すってことになった。

でも、その時期があったからこそ、脳科学×心理学×潜在意識に出会ったし、以前の自分の選択の意味も知った

体調が悪かった時期、同時に失うことの不安も抱えてたのだ。

起業して、そこそこ、いい感じになってくると、失いことが怖くなってくる。

そして、外からの評価が、とても良かったことで、自分が感じている自分との、解離が始まったのだ。

もちろん、私には、その自覚もなかったし、ただ、何かが違うっていう感じが強くなっていった。

起業する時は、何の保証もなくても、不安がなかったから、思い切った決断ができたし、その結果、必要なものを引き寄せた。

起業後、体調を崩した時期は、人との比較とか、失うことの不安とかが大きく、未来のビジョンを描けていなかったのだ。

こうして振り返ると、うまく言った経験、うまくいかなかった経験、どちらも、素晴らしい宝物だ。

人生が終わるまでの、ビジョンを描くこと。

それは、叶わないといけないとか、やり遂げないといけないとかじゃなくて、こんな風に生きるんだっていう決意みたいなもの。

だから、この大きなビジョンは、誰にも言わなくていい。

そして、今からは、時代も変わる。

あの時うまくいった方法に、寄りかかるんじゃなくて、未来のために、今何をするのかを、試行錯誤していくだけだ。

そうして、50代からの人生を、もっと豊かなものにしたい。

そのために、私は星の言葉に耳を傾けるし、物語を書いたり、アートを描いたりして生きたい。

そして、楽しく仲間ができるともっと素晴らしくなりそうって思う。

 

 

 

image