痛みを緩和する見えない力
みぶきえみです。
● 痛みを緩和する見えない力
こんにちは。大人のための占星家・蛭田えみ(Emmy)です。
金星逆行中のためか、看護師時代のことをたくさん思い出す。
そして、その頃一緒に働いてた人と久しぶりに会ったり。
金星は、私のMCルーラーで、仕事に関係するから、仕事観連のこと振り返る時期なのかもしれないけど。
看護師時代の中で、「痛み」と向き合う機会は、とてもたくさんあった。
入院している患者さんたちは、痛みを持っていることがとても多いから。
WHOでは、健康の定義の中で、身体的・精神的・社会的・霊的・・・という言葉が使われてる。
このどの領域にも痛みが存在する。
医療の現場で、特に終末期の患者さんに対しては、身体的な痛みの緩和に薬剤が使われる。
痛みは気のせいとかでは、すまないレベル。
今は、現状も変わっていると思うけど、私が新人の頃は、鎮痛剤は4時間おきとか、1日3回みたいな医師の指示が多かった。
その許容を超えるときに、痛みを訴えられることが、とても恐怖だった。
痛いと言う人を目の前にして、何もできない自分を、思い知らされるから。
でも、薬剤による身体的な疼痛コントロールが、比較的良好な場合にも、痛みとして訴えられることがある。
それが、霊的な痛み…スピリチュアルペインだったりするのだ。
スピリチュアルペインって、死が間近に迫った患者さんが、自分が生きる意味や価値を、見失ったり、死後の不安や罪悪感などで、苦しむ痛みのこと。
がんを告知された患者さんは、「なぜ自分が癌にならなければならないのか?」「なぜこんな痛みを味わわなければならないのか?」という怒りを持つ。
「自分の人生の意味は一体何だったのか?」という生きる意味への問いもある。
そして、病気になったことで、周りに迷惑をかけてしまったという、罪悪感や死後の恐怖などで、苦しみや痛みを感じる。
スピリチュアルペインを、こんな風に解説する人もいる。
「スピリチュアルペインとは、人生を支えていた生きる意味や目的が、死や病の接近によって脅かされて経験する、全存在的苦痛である。
特に死の接近によって『わたし』意識がもっとも意識され、感情的・哲学的・宗教的問題が顕著になる」
「自己の存在と意味の消滅から生ずる苦痛」
ここに介入していくには、自分が生死をどのように考えているのか、つまり死生観を持っていなければ、踏み込むことのできない領域だと思う。
新人の頃、痛みを訴える患者さんに、先輩ナースが足浴をしていたことがあった。
鎮痛剤をこれ以上は使えないっていうとき、足浴をしてゆっくり話を聞くことで、患者さんの痛みが和らぎ、眠れるのだ。
また、真夜中に一緒にコーヒーを飲むことで、痛みで眠れない人が、眠れたこともある。
そこには、ゆっくりと話を聞くということが必要で、新人の私には無理だと感じていた。
死の不安や人生に対する後悔を訴えられても、返す言葉を持ち合わせていなかったからだ。
余命が短いと思われる患者さんに、『さわりに来て』と言われることが多かった。
肉体的な触れ合いは、生きていると実感できる行為。
そのことによって、スピリチュアルペインが少しでも和らぐのかもしれない。
鎮痛剤は、薬効として証明されている。
しかし、ただ手を触れることで痛みが和らぐっていうことは、化学的には証明されていない。
でも、その人の苦痛が和らぐのなら、証明できない見えない力というものも、価値がある。
こんな数々の経験が、今、見えない力を信じるまた実感する、基盤になっているのだ。