命にかかわる病気になったら、何を選択しますか?

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● 命にかかわる病気になったら、何を選択しますか?

こんにちは。大人のための占星家・蛭田えみ(Emmy)です。

私は、身体は丈夫な方だけど、人生で2度、死ぬかもしれないってことを経験してる。

出産の時も、命の心配をされるほど、出血したり、手術時の出血が、予定量の5倍だったりと、生命を意識する出来事だ。

それに加え、亡くなる人が多い病棟での、看護師としての勤務経験。

10代の時に、大切な人が亡くなってしまうという経験など、いやでも、生と死について、考える機会が多くあった。

病気になる、ということについても、考えるのが日常だった。

 

病気は身体が発するメッセージ

スピリチュアルな世界に触れ、病気は身体が発するメッセージということも、納得できることが、たくさんある。

心の状態がこうだったから、この病気になる。

正しく、生きていないから、病気になる。

自分らしく生きていないから、病気になる。

だけど、安易すぎる結び付けと、批判には納得できないことがある。

病気の時に最も悪いのは、ストレスだ。

その言葉で、病気の人を、さらに傷つける意味がわからない。

自分の知識や考え方をひけらかしたいとしか思えないような人もいる。

その病気に、どう向かっていくのかは、その人次第。

何が正解とか、不正解とかはない。

西洋医学的なものや、代替医療的なもの、いろいろな見解がある。

でも、どの選択をするのかは、その人の価値観だし、どの選択も、支持されていいと思うのだ。

選択の、結果を背負っていくのは、本人だから。

その上で、サポートになる考え方や代替療法を知っていたら、提案できたらいいんじゃないかな。

 

私が手術した時

私が、手術を決めた時、身体にメスを入れることは、とてつもない罪悪だと、言われたことがあった。

喜んでそうしたいとは思わないけど、手術という選択をした結果には、とても満足してる。

もちろん、病気を引き起こしてしまった、考え方や生活を変えるということをしなければ、再び体は悲鳴を上げるだろうけど。

看護師時代に書いた、看護観のタイトルも「自己決定を支える看護」だった。

治療をする側にいると、治療が、最も効果的になされるように、働きかけるのは自然なこと。

でも、闘病している人の人生にとって、西洋医学的な治療が最優先ではないことがある。

余命宣告をされた時、何を最優先に、生きていくのかは、その人の人生観。

 

Aさんの場合

私がまだ、20代だったころの受け持ち患者さん。

病状は思わしくなくて、治療に専念したとしても、完治はあり得ないという状況。

看護師としての私は、もっと休養をとったり、ちゃんと薬を飲んだり、治療に専念してほしいと思ってた。

でも、その方は、身体に鞭打って、仕事を忙しくこなし、入院中もずっと仕事をしているという感じだった。

とても、身体を大切にしているようには思えなかった。

ある時、その方とゆっくり話す機会があって、こんな風に言われた。

今の病状で、これだけの仕事をこなすのが、身体によくないことはわかってる。

でも、治療に専念しても、わずかに余命が伸びるだけで、完治することはないことはわかってる。

だとしたら、残りの人生を、今の大きなプロジェクトにかけたい。

これが成功すれば、大きな収入にもなる。

自分が亡くなった後に残される、3人の子供たち、特に全盲で脚も不自由な末っ子にのために、少しでも多くのお金を残したい。

そんなことを、言われた。

自分の命を何に使うのか。

まだ若かった私は、そんな風に考えた事もなかったから、すごく衝撃的だった。

1日でも長く生きることを良しとして、延命治療を行っていた時代だったから、余計にその衝撃は大きかった。

でも、自分で命の選択をすることや、その選択を支えることって何だろうと考える機会になった。

 

Bさんの場合

また、大きな病気になったことで、自分が本当にやりたい事に気づいた人もいた。

彼は、「病気が治ったらやろう」ではなくて、「今、やりたいことをやろう」という風に、考え方を変えた。

本来は、入院して治療をするのがベストという状況で退院。

若いころからの夢だったことに、挑戦した。

時々届く絵ハガキは、とっても楽しそうだった。

だけど、当時の私は、無治療で好きなことしてたら、寿命が縮むって思ってた。

だけど、医学的には信じられないような回復を遂げた。

そして、久しぶりに会った彼と話すうちに、こう感じた。

例え寿命が縮んだとしても、病気のことばかり考えて、不安で過ごす入院生活より、好きなことをしている方が、生きてる実感があるんじゃないかって。

 

本人ではない私たちはどう寄り添うのか

本人ではない、私たちができることは、その人が下した選択をジャッジすることじゃない。

その人が、考え悩んだ上で、選択したことを支持し、サポートすること。

例え、家族であったとしても。

もし、他の方法を進めるのなら、最後まで責任もってその人に寄り添うくらいの、覚悟が必要だ。

あなたがいいと思う生き方と違ったからと言って、闘病中の人をさらに追い込むような、発言は必要ない。

ストレスをかけるだけだからだ。

闘病中の人を前に、悪かったところを探すのなんて、何の解決にもならない。

悪かったところがあるに決まってるんだから。

だって、どこから見ても完璧な生き方してる人なんていないから。

命にかかわる選択は、本人が一番苦悩した結果だ。

周りの人にできるのは、その選択をサポートすることだけだ。