なくした感情のかけら
未生希えみがおくる大人の占星術
同僚の結婚式からの帰り道、私はどうしようもない空虚な気持ちを感じていた。
幸せそうな同僚の顔。
心から祝福したいのに、なんだかもやもやした気持ちになってしまう自分が嫌だった。
恋愛も仕事も人間関係も、何もかもうまくいかない。
結婚を意識した彼からの、突然の別れ話。
時を同じくして、仕事上のトラブルで、実際にはほとんど関わっていない私が、責任を取ることになり、退職に追い込まれた。
上京して来たときの夢は、ことごとく打ち砕かれた。
私が生まれ育った地元は、緑豊かな自然が多い場所、といえば聞こえがいいけれど、はやりの洋服も売っていないような田舎だ。
私は、都会で華々しく働き、素晴らしいパートナーを得て、誰もがうらやむような生活をするという夢を両手に、上京したのだ。
傷ついた心を抱え、どうしようもなくなったとき、田舎に戻りたいと思った。
子供の頃を過ごした、自然の中に戻れば、こんな気持ちも癒されるのではないか。
けれど、小さなプライドが、そうすることを許さなかった。
だけど、どうしようもなくつらい気持ちを抱えた私は、「都会で成功した」というイメージを作り、その鎧を着て、2~3日、田舎に帰ってみることにした。
久しぶりに訪れた田舎は、コンビニができたり、店が増えたりはしていたけど、大きくは変わっていなかった。
空気がおいしいと感じられたことには、少し驚いた。
あの頃は、嫌で嫌でたまらなかった場所なのに。
貯金をはたいて、ブランド物の洋服を買い、赤いハイヒールを鳴らして、実家に戻ってきた。
私は都会でこんなに素敵な生活をしているのよっていう、雰囲気を思いっきり出しながら。
こんな田舎を捨てて正解だったという証拠を、見せつけたい。私は、私が輝く場所を手に入れたのだと。
その夜、久しぶりに同級生と会うことになった。
地元には数件しかない、居酒屋だ。
都会のおしゃれな店とは、何もかも違う。
けど、場違いなほどの私を、見せつけてやりたい気持ちもあった。
小学校から高校までを共にした友達十数人が、私の帰郷を迎えてくれた。
友達は口々に、私のことを羨ましがった。
その言葉を聞きながら、嘘で固めた自分を、見抜かれるんじゃないかと思うと、体は緊張していた。
子供のころ、大きな夢を語り合っていた親友は、地元の同級生と結婚して、3児の母になっていた。
スーパーの隅で売っているような安いTシャツにジーンズ。
髪はひとつにまとめていた。
化粧っ気もなく、学生時代に町で一番の美人だった彼女は、ただのおばさんになっていた。
私が来ているハイブランドの洋服を、一度は着てみたいと羨ましがる様子を見せた。
子供の世話が大変だとか、姑とのバトルのことを、愚痴だと言ってしゃべっていたが、私はなぜか彼女を羨ましく感じた。
飾りっ気のない彼女は、見栄を張るわけでもなく、今の生活を楽しんでいるように感じたからだ。
何かで武装しなくても、ここにいていいんだという、自信のようなものさえ感じていた。
彼女だけではなかった。
そこにいる誰もが、日々の小さな不満を口にしながらも、人生を楽しんでいるように感じられた。
その中で、私はとてつもない小さな人間のように思え、空虚な気持ちを埋めようとした浅はかな行動は、さらにその空っぽな心を大きくしていた。
2時間くらいで、その会はお開きとなった。
私はそこから近くの川に向かっていた。
子供のころ、毎日のようにこの川べりで遊んでいた。
石を積み重ねたり、浅瀬で泳いだり、時間がたつのも忘れていた。
その川を眺めながら、突然涙が流れてきた。
私が上京したのは、大きな夢のためなんかじゃなかった。
ここから逃げ出したかったのだ。
子供のころ、私と双子の妹は、いつものようにこの場所で遊んでいた。
川の中に入ってはいけないって、厳しく言われていたのに、その日はとても暑く、水浴びのような感覚で、泳いでいるうちに、だんだんと浅瀬を 超えていた。
そして、あっという間に、川の流れが速くなり、私たちは流された。
幸い私は、すぐ横の木に引っかかって、川から上がることができたらしかった。
気が付いたときは、病院のベッドの上だった。
心配そうにのぞき込む、両親や祖父母。
そして、私が意識を取り戻し、ほとんど無傷だということがわかると、ホッとした様子を見せたと同時に、父も祖父母も、私たちだけを、川に行かせた母のことを、責め始めた。
そして、母だけになると、私にこう言った。
「無事でよかった。でも、もう心配させるようなことをはしないで。」
その時の母の目は、私を責めているように感じた。
妹はどうしたんだろう。
「○○ちゃんは?」と、私は母に聞きたかったけど、妹の名前が出てこなかった。
その後も、なんだか聞いてはいけないような気がして、妹を心配する気持ちを飲みこんだ。
それから、両親も祖父母も、妹のことを口にすることはなかった。
何年たっても、両親から責められているような気がして、家の中にいてもいたたまれなかった。
仲が良かった妹を失ったことを、悲しむことも許されず、ただ、時間が過ぎるのを待っていた。
あの頃から、自分を取り巻く感情というものを、すべて排除してきたのかもしれない。
両親が妹の死を嘆き悲しんでいたという記憶もない代わりに、自分が思いっきり楽しいと感じることもなかった。
私は、悲しみを感じなくてすむ代わりに、楽しいとかに喜びとかいう感情も、捨ててしまったのだろう。
そんな私が、生きていくにはたくさんの武装が必要だった。
有名大学に行くこと、多くの難しい資格を取ること、女性では無理だといわれていたプロジェクトのリーダーとして、業績を上げること。
どれも、私を満たしてくれるものだったが、それは一瞬のことだった。
次は何をしなくちゃいけないのか、そんなことばかり考えて過ごしていた。
故郷に居場所を失った私は、社会に認められることで、自分の居場所を作ろうとしていたのかもしれない。
延々とそんな思いが頭をよぎる。
どうして、同級生たちは、あんなに幸せな顔をしているのだろう。
どうして私は、亡くした妹ごと、感情を失ってしまったのだろう。
秋風の吹く少し肌寒い中、ヒールを脱いで、川に入ってみた。
思った以上に冷たい。
そうして、足をつけていると、あの日のことが蘇ってきた。
暑い真夏の日、私たちは川で遊んでいた。
母が近くの商店に飲み物を買いに行っている、ほんのわずかな時間で、川の深いところまで、行ってしまっていたのだ。
川面が光るのが美しくて、そこに足を運んだ。
水面から見える大きな石がなくなり、砂になっていく場所に、赤くて光る石を見つけた。
私は、それを取ろうと手を伸ばし、流されたのだ。
意識が回復してからは、母の嘆く言葉を、幾度も聞かされてきた。
そんな中で、私は、無邪気で好奇心旺盛な自分を、地下室へ閉じ込めた。
妹はどこに行ったのだろう?
そういえば、うちには仏壇があったけど、妹の写真を見たことがない。
小さい頃のアルバムも、私一人しか写っていなくて、妹の死を悲しんだ母が、処分したのだと思っていた。
だけど、そういえば、家の中には、妹の痕跡が一切なかった。
私は、あわてて実家に帰り、子供のころのアルバムを開いた。
赤ちゃんのころから、実家を出るまで、妹が写っているものは1枚もなかった。
私はたまらず、母に聞いてみた。
「私いつも一人で写ってるよね。」
すると母はこう答えた。
「今のように、たくさん写真を撮る時代でもなかったし、お父さんはいつも忙しくて、出かけるときは、二人だったからね。一人っ子なんだし、そんなもんよ。」
私は、雷に打たれたように、今までの出来事が電気でつながっていくようだった。
私が長年苦しんでいた、妹を見殺しにしてしまったという感覚は、実際の経験じゃない。
だとしたら・・・。
私は、私の一部を「妹」だと思って封印してきた。
もう嘆き悲しむ母や、母を責める父や祖母を見たくなかった。
だから、無邪気で好奇心旺盛な心を殺してしまったのだ。
その純粋な心は、楽しむ気持ちや喜びを感じる気持ちでもあったのだ。
あの事故以来、両親や祖父母が求める、従順な子供の部分だけを自分だと思い込んで、暮らしてきた。
好奇心旺盛な自分や、無邪気に楽しむ自分は、「妹」だと思って、自分から切り離していたのだ。
あの事故の時に、無邪気で自由な自分を、心の奥深くに閉じ込めた。
だけど、亡くなったことにされた「妹」の部分は、私の中で生きていたのだ。
生まれ故郷に帰るのに、武装する必要なんてなかった。
ただ、懐かしい景色に触れ、自然を感じ、心から寛げばいいだけだ。
そこに居場所がないと思っていたのは、私だけ。
母も友達も、あの頃と何一つ変わらない笑顔で、迎えてくれた。
必死で自分の居場所を探してきたけど、本当は居場所なんて探すものじゃなくて、すでに持っているものなんだ。
明日、もう一度、川に行ってみよう。
そして、子供のころに手にすることができなかった、赤い石を見つけてみよう。
それを手にしたら、きっと、私の中の「妹」が、囁くだろう。
「ただいま」って。
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