公園に続く坂道

久しぶりに実家に帰って、子供の頃のアルバムを開いてみた。

3歳ぐらいまで住んでいたアパートの前で、はじけるような笑顔で写っている私。

そんな写真を見ていると、ふと、子供の頃に住んでいた場所に行ってみたくなった。

今住んでいるところから、遠い距離ではなかったけど、特別何かがある場所でもなく、そこに足を運ぶことはほとんどなかった。

子供のころを懐かしいと思う気持ちも、忙しさの中に紛れていたのかもしれない。

短い距離を乗りついて45分、電車に揺られてたどり着いたその場所は、懐かしいというより、見たことがない新しい街のようだった。

子供の頃にはなかった、高層マンションやショッピングモール、おしゃれなカフェが立ち並んでいて、場所を間違えたのかと、思わずにはいられない景色だった。

私が住んでいたアパートは、外観は美しく変わっていたものの、そのままの形で残っていた。

1階にあった小さな商店は、デイケアセンターへと形を変えていた。

この角はタバコ屋さんだったなとか、ここはお肉屋さんだったなとか、思いを巡らしながら近所をぶらぶらしていると、アパートの横の小さな路地から続く、緩やかな坂道に抜けていった。

坂道をゆっくり歩き始めると、まるで映画のように、当時の様子がよみがえってきた。

この先にあるのは、遊具ひとつなく、小さなベンチがあるだけの公園だ。

長く急な坂道を長い時間をかけて歩いて、やっとたどり着き、公園で走り回ったり、近くの土手で遊んだりしていた。

懐かしくなって、公園目指して歩き始めたとき、久しぶりに感じる高揚感に包まれていた。

だけど、あの頃感じた、急な坂道は姿を消し、長かったはずの道のりも消え、ほんの3分程度で着いてしまった。

まるで冒険のように思えていた公園への坂道は、こんなにも緩やかで、とても短い距離だったのだ。

公園につくと、そこには色とりどりの遊具が並び、座り心地のよさそうなベンチや自動販売機まで設置されていて、全く違う公園のように感じられた。

でも、東側に高くそびえる木々は、昔のままのようでもあった。

しばらく、ベンチに座ってブラックコーヒーを飲みながら、風に吹かれていた。

幼いころの私は、確かにこの場所で笑っていた。

生まれ育ったふるさとは、時とともにその形を変えてしまう。

もしかしたら、面影さえ残っていない場所もあるだろう。

それでも、その場所に立つと、昔の記憶が思い出され、温かい気持ちになり、ちょっぴりセンチメンタルな気分にもなる。

普段は思い出すことがない、幼い日の温かい思い出。古びたセピア色の記憶が、色を取り戻していく。

その思いは、つかの間の夢のようでもあり、今を生きていることにつながる拠り所でもある。

ふるさとへ足を運ぶということは、自分の記憶の中の懐かしさが詰まった場所へ、心を運び、生きる意味を再確認することなのかもしれない。