あの時踏みとどまれたのは、社会とつながっていたこと、周囲の温かさがあったこと。
みぶきえみです。
● あの時踏みとどまれたのは、社会とつながっていたこと、周囲の温かさがあったこと。
こんにちは。蛭田えみ(Emmy)です。
虐待のニュースみると、心が痛む。
きっと、生まれた時は、かけがえのない命だったに違いない。
もちろん、虐待なんてする親が悪いに決まってる。
でも、自分はその人たちとは、全く違う人間なんだとは思えないのだ。
母親になったんだから、子供に愛情を持って当たり前、自分を犠牲にして当たり前っていう、暗黙の了解みたいなものが、さらに苦しめてるように思う。
母親になったって、急に立派になるわけじゃない。
でも、周囲の人のおせっかいとか、そんなものがなくなって、自分からどこかに頼ることもできない。
子供たちが小さかった頃、シングルマザーだった私。
夜泣きで眠れず、それでも翌日は仕事に行く。
ギリギリの精神状態で、夜中に泣き止まない子供二人を両手に抱いて、窓をのぞいてると、このまま飛び降りたら、楽になるかもしれないって思いが頭をかすめた。
でも、その一線を越えずにすんだのは、周囲の人の温かさがあったからだ。
職場の先輩には、子育てしながら働いてる人も多くて、育児書なんかより、よっぽど役に立つこと教えてもらった。
子供は、泣いても死なないから、泣き声が辛くなったら、布団に寝かせて、近所を1周してきたらいいとか。
私の長男も、孫が生まれるまでは、虐待なんて人としてあり得んって言ってたけど、実際疲れてるときに、泣きわめかれ続けたら、クローゼットに入れたくなるって言ってた。
虐待する人の気持ちがわかる自分に、唖然とする。
そして、自分を責める。
今の時代でも、子供を虐待してしまいそうだって助けを求めることは、容易ではないだろう。
虐待という方向に行かなくても、母親が自殺してしまうこともある。
弱い子供を虐待する親は最低だって罵ることは簡単だ。
だけど、それじゃなくならない。
周囲の目が、温かく感じるなら、弱音も吐ける。
でも、周囲の目が冷たさでしかないなら、助けを求めるという行動さえ、忘れてしまうだろう。
どうしたらいいのか、何ができるのか、そのループから、抜け出せないけど。