未生希のプロフィール

✨鑑定人数10000人越えの心理占星家
🏢エムズコーポレーション 取締役
⭐️毎月の星の動き配信中
🎨50代からの才能開花パワーアート制作
🎁楽しくて面白いこと探しが大好き
🚹子供も孫も兄弟もパートナーもペットのひなちゃんも、みーんな男❣️

Reality can destroy the dream; why shouldn’t the dream destroy reality?
現実が夢を壊すことがある。だったら、夢が現実を壊すことがあってもいいじゃないか。

Nothing is impossible, the word itself says 'I'm possible'!
不可能なことなんて何もないわ。不可能 (impossible) という言葉自体、『私は可能だ(I'm possible)』と言っているわ。

もっともっと、クリエイティブに、生きたい!⁡

絵を描き、文章を書いて、自分の思いを伝えたい。

自分の中の創造性をもっと開花させる仲間と出会いたい。

Want to live more and more creatively! ⁡

Want to draw pictures, write stories, and convey my feelings.

Want to meet friends who will make my creativity bloom more.

目次

占星家としての私

4月23日年生まれ、太陽牡牛座、月山羊座、アセンダント獅子座。
占星術に出会った人は、「もっと早く出会いたかった」って言われることが多い。

もっと早く、自分の星を知っていたら、よりよく生きられたのに・・・

でも、それは違う。

若い時には若い時の、そして、年齢を重ねたら、重ねたなりの星の使い方があるからだ。

まわり道も、辛く苦しい経験も、すべてがあなたの才能を成熟させ、人生の目的に向かわせてくれるため。

だから、占星術は50代からが、面白いのだ。

多くの人に、大人の占星術の素晴らしさを伝えたいと思い、無料で学べるメルマガを配信中。

占星術講座では、単に知識だけではなく、星の象徴と人生をつなげる学びを大切にしている。

また、占星術コンサルでは、未来や運命を予言する占いではなく、自分の人生を歩んでいくための、自分の星の才能との対話を、大切にしている。

持って生まれた、たくさんの星の才能を思いっきり表現して、自分の星の世界を創り、星の物語を築いていきたい。

 

アーティストとしての私

2020年の1年間は、激動だった。

自分のルーツを見つめ、眠っていた創造性に気づく時間だった。

このタイミングだったからこそ、気づけたことがある。

人生を大きく方向転換した40代前半。

その時と同じくらい・・・もしかしたら、もっと大きな変化を体験する時期だったのかもしれない。

The year of 2020 was turbulent.
It was time to stare at my roots and realize my sleeping creativity.
I have noticed it because it was this timing.
In my early 40s, I changed my life significantly.
As much as it was then ... maybe it was time to experience a bigger change.

私は自分の足で立ち、安定した場所にいると思ってた。

母を亡くした悲しみだけじゃなく、混乱している自分を受け入れられなかった。

混乱し、寒さに震えているのは、私の中の小さな私。

でも、それを理解するのは難しかった。

すべてを失って、自分の基盤が壊れていく。

自分が自分じゃなくなる体験をした時

それを取り戻す方法は、書くことと描くことしかなかった。

誰かのために書くわけじゃない。

自分のために描くわけでもない。

ただ、かかずにはいられなかった。

無くした記憶は、自分の防衛反応だ。

それと同時に、豊かな感受性や喜びも、無くしていた。

生きる創造力を取り戻すには、すべてを想い出す必要があった。

あの頃、見えてきた景色、感じていたものすべてを。

だから、私が私に戻るために、書き続け、描き続ける。

I thought I'd been steady on my feet and I'd been already on solid ground.
Not only sad to lose my mother, but I can't accept myself being confused.
It's the little me in me who is confused and shivering in the cold.
But it was hard enough me to understand.
I lose everything and my foundation is broken.
When I had an experience that made me not myself.
I couldn't help doing something, so I wrote and drew.
I'm not writing & drawing for someone.
And I'm not writing & drawing for myself.
However, I couldn't help it.
The lost memory is my defense reaction.
At the same time, I lost my abundant sensitivity and joy.
To regain the creativity to live, I had to remember everything.
The scenery I saw and everything I felt back then.
So I keep writing and drawing to get back to me.

 

未生希のプロフィール

思春期に出会った、占い雑誌、マイバースディ。

それが、占星術に興味を持つきっかけでした。

中学・高校と、星占いに興味はあったが、本格的に学ぶには至りませんでした。

高校卒業後は、看護学校へ進学。看護師になり、すぐに結婚・出産するが、1年半後には、2人の息子を抱えるシングルマザーになりました。

20年間看護師として、総合病院に勤務の後、2006年にカラーセラピーで、起業。2008年、退職、電撃結婚、引っ越し、サロンの本業化と大きく人生が変わら経験をします。

占星術は、2010年から正式にメニューとして取り入れ、2012年からは、全国各地で鑑定、2016年の春分には、占星術専門サロンとしてリニューアル。

2020年に、母を亡くしたことをきっかけに、自分が壊れていくような体験をすることになりました。

その中で、人生の基盤であるはずの場所が、空洞であると気づいていきます。

人との関わりの中で、抑圧されていた自分の感情や想いに出逢い、絵や文章で表現していくことで、自分を取り戻していきました。

自分を素直に表現することが、自分の本当の価値を創っていくと実感しています。

自分の星を表現することを、もっと追求したいと思っています。

 

占星家になったわけ

私が、占星家になったわけ①~大人になったら、月に行きたい!

「どうして、占星家になったんですか?」 この質問、本当によく聞かれます。

普段は、そんなこと考えたりしないけど、改めて聞かれることが多いから、ちょっと、振り返ってみました。

幼稚園の頃ころ読んだ、1冊の本。

その本には、月に向かう列車の絵と、「あなたの、子供の、子供の、子供の、子供・・・が、おばあさんになる頃に、月につきます。」みたいな文章が書いてありました。

だから、私は、こんな絵を描くのが好きなのかもしれません。

子供の頃は、大人になったら月に行けるんだって思ってました。

夜空を見上げて、月を見ては、そこに行く日のことを、考えていました。

子供の頃は、病弱な弟がいて、「お姉ちゃん」の役割を求められていました。

だから、自分の気持ちを表現することなんてなかったから、月に語りかけるのが好きな、そんな子供でした。

とっても、引っ込み案で、人見知りで、おとなしくて・・・ 本が友達みたいな感じでした。

自分でも、想像できません(笑) 今考えると、これが、占星術との出会いだったのかもしれません。

いわゆる星占いに出会うのは、もう少し後でした。

 

私が、占星家になったわけ②~星座って、とっても不思議

小学生になって、10歳くらいの頃、天体観測の宿題が出たことがありました。

星座版をもらって、それを持って、暗くなった道路に出るのが、本当に楽しみでした。

宿題が終わってからも、空を見上げるのが、習慣になっていました。

私が子供の頃は、今よりも、外灯が少なくて、もっと星がキレイに見えてた気がします。

視力の問題かもしれないけど(笑)

星を見てると、何だか吸い込まれそうで、神秘的だなって思ってました。

子供の頃、空想とかするのが大好きだったから、夜空を見上げながら、いろんなことを、考えて楽しんでいました。

そして、知らず知らずのうちに、星座や天体の神話の世界に、引き込まれていくことになったのです。

 

私が、占星家になったわけ③~雑誌・マイバースディ

星を見ることが大好きになっていた、子供の頃。

思春期に、この雑誌に出会います。

マイバースディ。

創刊号は、私のお誕生日の頃で、確か、牡牛座特集だったので、とっても印象的だったのを覚えてます。

2012年に発売された、大人のマイバースディ、もちろん買っちゃいましたよ。

マイバースデイは、いろんな心理テストやおまじないなんかも載ってたと思います。

そこで星占いに出会うことになるのです。

太陽星座以外に、月星座や金星星座があること、ホロスコープの作り方など、毎月熱心に読んでいました。

そして、どんどん、星占いの世界に入っていきました。

この時は、それが、占星術っていうものだって、よく知らなかったかもしれません。

同じように、星占いが好きな友達と一緒に、発売日には、雑誌を買った後、近くのハンバーガーショップによってました。

もし、星が人の運命を知っているなら、どうして、こんな状況に生まれてきたのかを、知りたいと、本気で思ってました。

星占いはを、人生を知るための、手掛かりのように感じていたのです。

 

私が、占星家になったわけ④~やっぱり占星術が好き!

そのうち、進路を決める時期が来て、看護学校に入って、バタバタと忙しい毎日が過ぎていきました。

あまりの忙しさに、占星術のことを少し忘れかけている自分がいました。

その時は、手放すというより、忙しすぎて手に取る暇がなく、次第に占星術から遠のいて行ったのです。

この後、就職・結婚・出産・離婚の中で、本格的に占星術を学ぶということは、無くなっていました。

下の子が、1学期で高校を辞めるといい出した時、オーラソーマとの出会いとともに、再び占星術とも出会うことになったのです。

少しずつ占星術を学ぶにつれて、過去の記憶が蘇ってきました。

そして、自分でも意外なくらいの速さで、占星術の知識を吸収していきました。

まるで、乾き切ったスポンジが、水を吸っていくように。

それから、占星術は、私の人生に、なくてはならないものになっていきました。

 

42歳で起業を決意

なぜ、42歳で起業を、決意できたのですか?①

実は、私の中では、重大決心をして、なんていう、感覚は、ありませんでした。

看護学校を卒業してから、ずっと同じ病院で、働いてきた私には、辞めるという選択を、考えたことがありませんでした。

でも、漠然と、何だか、このままでいいのかな・・・と、思い始めた時期が、ありました。

その頃、下の息子が、高校に入ってすぐに、辞めると言い始めました。

それを聞いて、「せっかく、進学校と、言われるところに入ったのに、違うと思ったら、やめるという決断するなんて、羨ましい。」と思ってしまったんです。

普通なら、あり得ませんよね。高校を、辞めるという息子を、母親が、羨ましがるなんて(笑)

でも、その時の、感覚は、鮮明に覚えています。

その後、彼の今後のために、いろいろと調べている時に、オーラソーマに出会い、同時に再び占星術に出会ったのです。

 

なぜ、42歳で起業を、決意できたのですか? ②~自分の人生を、歩くために、決断したい

オーラソーマに出会った私は、自分の人生の中で、初めてであった、宝物を見るように、ボトルを見ていました。

最初は、ナースとしてのライセンス以外に、何か資格が欲しいと思って、受講しました。

けれど、オーラソーマは、今まで学んできた、資格をとる講座とは、違っていました。

初日が、満足できるもので、あったかというと、違いました。

しかし、何だかわからない、感覚がありました。

初日に、選んだ、74番ボトルを、こんな、つたない色の言葉で、表現しました。

「自分の、仕事のステージを、広げるために、知識がほしいと思って来たけれど、本当の、自分の人生を、歩くために、決断したいと、思っている。」

初日に感じた、この思いこそが、数年後、占星術師として、実現していくことになる、私の新しい道でした。

当時は、この美しい世界を、ひとり占めにしたいと、思っていました。

なので、友達が遊びに来ると、ボトルは、片付けていたし、大切な宝物を、誰にも、見せたくないという、気持ちでした。

コンサルテーションをするとか、ましてや、仕事にするなんていう発想は、微塵もなかったのです。

そんな私が、あるきっかけで、看護師をやめることを考え始めたのです。

 

なぜ、42歳で、起業を、決心できたのですか?③~決断をサポートするために現われる悪役

起業したいと思った頃、私は、看護師として働いていました。

子供のころから、憧れて・・・というわけではありませんでした。

今にしてみれば、「手に職をつけて、安定した場所で働く。」という、母親の価値観に、沿った、生き方をしていたのです。

常識的に考えたら、とても、恵まれた、職場環境の中で、苦しいという思いが、強くなっていったのです。

その時の、上司の一言が、退職を決意させました。

「組織は、正しいかどうかなんて求めていない。職位が上の人の立場を、守るところだ。」

この言葉と一緒に、頭によみがえったのは、子供が退学した時に感じた、羨ましいという気持ちでした。

何か違うと、感じ続けていた、違和感、違うと思ったら、やめていいんだという思いが、素直に流れてきました。

それは、母親の価値観から、本当の意味で、抜け出すことでもありました。

同時に、私自身が、手術をすることになって、残りの人生の質についても、改めて、考えました。

この違和感を持ったまま、残りの人生を、過ごしたくないという思いが、オーラソーマのお仕事をしたい、という思いに、繋がっていったのです。

でも、その頃はまだ、占星家になるということは、全く思っていませんでした。

ただ、再び出会った占星術が楽しくて、18歳の頃に比べると、学ぶための本も沢山ある。

そんな環境に満足していました。

 

なぜ、42歳で、起業を、決心できたのですか?④~経費ってもらえるんじゃないの?

私の周りには、自営業の人が、いませんでした。

お金は、お給料でいただくものだと、思っていたのです。

なので、自営で、仕事をするということが、どういうことなのか、全く、分かっていませんでした。

たとえば、領収書は、まとめて、どこかに出すと、同額の、お金がもらえるくらいに思っていました。

今だったら、「どこの、誰が、くれるんかい!!」と、突っ込みたくなります。

でも、無知だったからこそ、安定した職をやめるという、決心ができたのかもしれません。

初めは、ナースのお仕事をしながら、お休みの日に、コンサルテーションをしていました。

いつも、誰かが、来てくれていたので、サロンを開いても、たくさんの人が、来てくれるという、勘違いが生まれました。

そして、何の経験もないのに、自営のお仕事が、うまくいくと、信じて疑わなかったのです。

もし、軌道に乗らなかったら、なんてことは、全く考えませんでした。

大学受験を、控えていた息子も、合格することが前提でした。

息子が、家を出ていくので、私だけのサロンができると、とっても楽観的に、考えていました。

もし、息子が、浪人することになったら・・・

もし、私大に入ることになったら・・・

そんな不安は、全く感じなかったのです。

息子は、無事に大学に進学し、私は、ナースをやめて、晴れて、サロンのオーナーになったのです。

サロンのオープン当時は、看護師時代に学んだアロマと、私に新しい決断をくれたオーラソーマのサロンでした。

ここに至っても、まだ占星家になるというイメージは、持っていなかったのです。

 

起業してからのこと

起業してからのこと①~イメージしてた、お客さまの行列は、どこへ??

ナースをしながら、開業した私は、お休みの日は、いつも誰かが、コンサルに来てくれてました。

もともと、コンサルができる日は、月に4回程度です。

その上、友達が来てくれるわけですから、コンサルという、雑談も始まり、ランチに行って、あっという間に、1日が終わります。

それを、「いつもたくさん、お客さまが来てくれてる。」と、勘違いしてたんです。

今考えたら、あり得ません。

3月に退職して、4月は、ご褒美セミナーで、県外巡り。

5月に、本格スタートした時には、お客さまの行列が、できているという、イメージでした。

そんな、都合がいいストーリー、今の私が見たら、「もっと、現実見ろ!!」と、あきれながら、怒ってたでしょう(笑)

どんなに待ち続けても、お客さまは、1ヶ月に3名~5名さま程度。

本業にする!と、意気込みだけはあったものの、1ヶ月の収入は、2万円程度でした。

お客さまの行列という、幻想が敗れても、このお仕事をやめようとう迷いは、いっさい起こりませんでした。

 

起業してからのこと②~起業の夢が、結婚生活に変身

起業して、さぁ、仕事を始めるぞって思った時、お客さまは、いませんでした。

そんな時、4月に知り合った、今の夫が、経理のこととか、いろいろ教えてくれていました。

私も、初めてのひとり暮らしで、暇を持て余してたので、誘われれば、お食事に行ったりしてました。

そして、7月末に付き合い始め、1週間後には、結婚するという流れになり、11月には、一緒に暮らし始め、12月には、入籍しました。

ナースをやめたら、サロンを始める、と思っていた私ですが、人生で初めての、専業主婦になったのです。

毎日、好きなことして、1日を過ごす生活。

家事も、そんなに苦痛ではなく、専業主婦に向いているんだと、思ってました。

でも、ただ単に、物珍しかっただけだと、気づくのに、多くの時間は、必要ありませんでした。

この間も、一応サロンは、やめてはいませんでしたが、開店休業状態。

1ヶ月の売り上げ、2万円程度の記録は、続いていました。

主婦生活に飽きた頃、あの思いがやって来たのです。

私の人生、このままでいいの?

 

起業してからのこと③~再びやってきた、私の人生、このままでいいの?

主婦生活になった私、生活に不満はありませんでした。

けれど、何だか物足りない感じ。

そんな私に、転機がやってきたのは、結婚してから、約1年後でした。

退職してから、結婚するまでの間に、オーラソーマのレベル4という、論文を書き上げて、提出していました。

1回で、合格することは、ほとんどないという、この論文。

当然、1回めの提出では、不合格でした。

すごく、大変な思いをして書き上げた物だったので、しばらくは、ちょっとへこんで、書き直す気になりませんでした。

そのうち、結婚・引っ越しが重なり、パソコンに保存していた、論文のファイルが、消えていました。

かなりの量の文章を、打ち直す気にもならず、なかったことにしてました(笑)

そんな、私のものとに、届いたのは、1通の手紙。

論文の審査方法が変わるから、現在、書きなおし中の人は、2010年10月(だったかな・・・)までに、合格しないと、新しい、システムへ移行する、というもの。

ここで、「せっかく、書きあげたものが、無駄になるなんて、もったいない!」っていう思いに火が付き、論文の書き直しを、始めました。

論文を書くという決意は、本を読むことにも火をつけました。

占星術とオーラソーマについて、書こうと思っていた私は、占星術関連の本も、探しました。

10代の頃とは比べ物にならないくらい、日本語の本が沢山。

毎日、その本を読むことで、眠っていた占星術への思いが、動き始めました。

それと同時に、ホロスコープを見てほしいという友達や、友達の友達が増えました。

口コミで広がり、開店休業状態のサロンが、息を吹き返したように感じました。

また、適当に、日々のことを、書いていたブログは、200人程度の、読者さんしかいませんでした。

ブログタイトルも、天使のお散歩。

いったいなんのブログなのか、さっぱりわかりません。

ブログの、ノウハウを、学んだわけではありません。

でも、もっと、占星術やオーラソーマのことを、書いていこうという、思いは持ち始めました。

この時期、私にとっては、外に発信していきたいという、エネルギーが、高まる時期でした。

また、文章を書くことも司る水星が、大きな影響を受けていたので、この決断になることは、自然でした。

そして、論文に合格した後、さらなる扉が、開かれたのです。

 

起業してからのこと④~自分で作り上げる占星術講座

論文に合格した頃、よく来てくれていた、お客さまのひとりが、「オーラソーマを、えみーさんから学びたい!」って、言ってくれました。

その頃は、オーラソーマの先生になるなんて、考えてもいなかったので、当然、他の先生を進めました。

でも、「えみーさんが、先生になるまで待つ。」って、言ってくれたのです。

それがきっかけで、いろんなタイミングも良く、オーラソーマティーチャーになったのです。

それと同時に、占星術の講座も始めました。

テキストも、授業の雛型も何もない、占星術講座は、まさに自分が創りあげていくもの。

初めて占星術を学ぶ人に、何をどのように伝えることで、もっと興味を持ってもらえるのか、本当に日々、試行錯誤の繰り返しでした。

この授業を組み立てていくという作業は、看護師時代、看護教員養成講座で学んだことが、とても役に立ちました。

人生、無駄なことなんて何もないという実感を持ったのも、この時期かも。

ここから約3ヶ後に、月収30万円という壁を、超えることができました。

何のノウハウも知らなくても、お仕事にすると決めて、行動すれば、短期間で、本業といえるまでになるんです。

この間、どんなことをしていたのか・・・

集客のノウハウ、マーケティング、何も学んでいませんでした。

どうしたら、お客さまに、喜ばれるだろうと思って、やっていたことが、偶然にも、その、ノウハウに近いものがいくつもあったのです。

簡単なことだけど、コツコツと地道なことを、やり続けました。

魔法のように、あっという間に、うまく行ったなんてことはないんです。

そうして、2012年には、全国で占星術のセミナー・コンサルができるようになったのです。

では、何をコツコツやったのか・・・

 

起業してからのこと⑤~書くこと、伝えることが本当に楽しい!

起業してから、本業といえるまでに、コツコツ積み重ねてきたことは・・・

私は、書くということが好きです。

手紙のブログも、書くことが全く苦痛ではありませんでした。

なので、お客さまにメールをしたり、手紙を出したり、ブログを書き続けたりしました。

お返事もたくさんいただけるようになりました。

これらが、とても有効なことだと知ったのは、後で、お仕事のノウハウを学んだ時でした。

ノウハウでは、○日後、○日後にメールをすると、お客さまに喜ばれるという教え方でしたが、私がやっていたのは、違いました。

可愛い切手が出たから、手紙を書くとか、そろそろ、トランジットの天体が、○○さんに影響するなと思ったら、メールをするというものでした。

星の力を活用してほしい、占星術のコンサルを、受けた時の、高揚感だけで、終われせないでほしいという思いでした。

その結果、お客さまから、お返事のメールや手紙をもらうことも多く、この仕事にますますのやりがいを感じていました。

そして、占星術のコンサルの件数は、日を追うごとに増えていきました。

起業当初は、メニューにもしていなかったものです。

占星家という、資格があるわけではありません。

なので、どのタイミングで、そうなったのか分かりませんが、私は、プロの占星家と呼ばれるようになっていました。

 

占星術だけのサロンを作りたい~オーラソーマを手放す決意

気持ちは固まっていたものの、最後の決断ができなくて、珍しく悩んでいました。

そんな時「占星術の方がいいと思うよ。」「オーラソーマ必要ないじゃん。」なんて、いろいろと励ましてくれる人もいました。

夫は経営者なので、収支のことも話したし。

オーラソーマだけでの収入が、全体の5割だったので、売り上げが落ちることも、覚悟しなくちゃいけませんでした。

でも、いろんな事考えず、私はどうしたいって思った時、占星術だけでやっていきたいっていう想いが、明らかでした。

私の中では、大きな大きな決断。

だけど、何より衝撃だったのは「オーラソーマもしてたんですか?」っていう言葉。

私の中では2本の柱だったけど、周りの目は違ったのです。

占星家として、見てくれていたのです。

そして、思い切って公表した時にも、ずっとオーラソーマのコンサルに来て下さってた方が、こんな風に言ってくれました。

「じゃ、これからは占星術のコンサルに行きますね。」

「えみさんがするんなら、占星術でもオーラソーマでもいいです。」

そんな心強い後押しも受けて、2016年3月、シンシアは、占星術サロンとして、リニューアルしました。

 

母の死をきっかけにした体験

2020年の初めに、母を亡くしました。

その後、半年くらいは、元気に過ごしていた私が、突然、精神的にとても不安定になり、自分が壊れてしまうという経験をしました。

今まで、記憶にあがってこなかった、様々な出来事と感情。

それらが、一気に押し寄せてきたのです。

辛すぎる経験の記憶は、人を守るために、潜在意識の奥深くに押しやられて、無かったことにするということを、実感しました。

生き埋めにされた感情は決して死なない。

このフレーズが、気になっていたのも、自分の中の、生き埋めにされた体験と感情が、あったからでしょう。

子供の心では、耐え難い経験。

それを全て明らかにする必要があったのです。

占星術的には、人生の中で、最大とも言えるくらい、とても大きな表示の時期でした。

全てのトランスサタニアン(天王星・海王星・冥王星)と土星が、ライツ(太陽と月)に影響し、30年に一度のセカンダリープログレスの月回帰も、起きていました。

この強烈な時期表示が示す経験をする必要があったのでしょう。

でも、どう向き合い、何を選択するのかは、私の意志なのです。

この経験は、自分の人生を、根底から見直すことになりました。

最も苦しい時期は、この経験の意味を、考える余裕もありませんでしたが、友達に支えられて、ここまで、歩いてくることができました。

まだまだ、渦中といえる時期ですが、きっと、大きなギフトになると、確信しています。

 

占星術コンサルで、私が大切にしていること

私は、メール鑑定は行っていません。

それは、ホロスコープの星の力を生かす方向性は、コンサルテーションという、対面での中で生み出されるものだと考えるからです。

今とは違う未来を描き、方向性を見つけようとする時、私一人ではできません。

あなた自らの意志が必要なのです。

何をすれば成功するのか?

私が心を込めて打ち込めるものは何か?

それが知りたいといわれる方もいます。

でも、占星術は答えを持っていません。

あなたが自ら答えを出すための、ヒントや行動を起こしやすい時期を、知ることができるだけです。

例えば、あなたのホロスコープが、事務や経理に向いている傾向があるとして。

だけど、本当にやりたいことは別のこと。

そんな時どうしますか?

「やっぱり占いは当たらない」って、なってしまっては、本末転倒。

あなたがやりたいことのために、使える星の才能は何かを、一緒に探して行くことが、占星家の役割だと思っています。

実際、話していくうちに、思いもしなかったことが口を突いて出たということや、話しながら本当に大切なものに、気づいたといわれる方は多いのです。

あなたはこんな質ですよっていう鑑定ではなく、あなたの人生に、星の才能をどう生かしていけるのかを、考えていきたいと思っています。

その場で、しっかりとホロスコープに向き合い、出てきた答えをメモすることの方が、大切なこと。

コンサルを機に、少しづつ選択が変わります。

ひとつひとつの選択は、小さなものでも、その積み重ねが、人生の質を変えます。

私が、大好きな占星術を、お仕事にして、自分が大好きっていえる人生を手にしているのも、40代の決断があったからです。

自信なんてなかったし、うまくいく保証もありませんでした。

信じていたのは、星の才能と時期だけです。

あなたにも、ぜひ星の才能を、生かしてほしいって思っています。

 

占星家としての想い

最近、占星家にできることって、何だろうって、考えます。

未来を予言することでも、 人生を言い当てることでも ないのは確かです。

ホロスコープの表示には、 素晴らしいものが沢山あります。

だけど、あなたが、 「それは違う」って思ったら、 その力は発揮されません。

どんなものを持っているのかより、 持っているものを肯定して 受け取れるかどうかなのです。

だとしたら、 その素晴らしい宝物を、 ちゃんと見ることができるように、 自分と対話する場を作ること。

それが、最も 重要な占星家の仕事です。

ひとつの星の象徴には、 無限の現実があります。

何を選び、どう使うのかは、 あなたの選択次第。

そして、占星家の仕事は、 出生図が表す可能性を、 限定しないこと、 諦めないことです。

たとえ、あなたが 否定したとしてもです。

そして、トランジットやセカンダリー、 ソーラーアークが表す時期表示に、 何を経験したのか、 それは、どのような 記憶となって、 蓄積されているのか、 そこを紐解き、 出生図の可能性を、 使えるようにすることです。

占星家には、多くのことは できません。

あなたが、 自分の星と対話できるよう、 心の中にも、実際の場としても、 スペースをもたらすことだけです。

占星術なんて 意味がないって言う人もいますが、 私にとっては、 人生を支えるほどの 意味があるものです。

人は、 誰かに言われたことより、 自分で納得して、 選択したものには支えられます。

こうありたいという希望も、 見えてくるからです。

だけど、誰かに言われたからという理由で、 行動する根底には、 ちゃんとしないと、 悪いことが起こるっていうような、 思いもあるはずです。

怖いものから 逃れるための行動は、 心身を蝕みます。

怖いこともあるし、 不安になることもあるります。

だけど、そんな時に、 「自分であること」が、 拠り所になるなら、素敵だと思うのです。

そんな風に、 自分を受け入れられるような、 対話をするスペースをもたらす、 占星家になりたいと思っています。

 

星の表現者として生きる

コンサルテーションは、誰かのために、役立ちたいという想いがあります。

学んだことや、自分の体験を伝えていきたいと、思っています。

それも、とっても大切なことです。

でも、それと同時に、私自身は何をしたいのかも、大切だと思っています。

今は、「人生は星を表現すること」という感覚が、しっくりきています。

受け取った感情のままに、色を描き、言葉を紡いでいくことで、自分でも気づかなかった自分と出逢います。

何度体験しても、それは、とても素晴らしい瞬間です。

その積み重ねで、独自の星の世界観で、世の中を見ることができるでしょう。

そこで、過去の意味を理解したり、未来のビジョンを描いたり、そして何より、今この瞬間を生きることで、私だけの星物語を創っていけると思います。