ひまわりの神話に秘められた、ひそやかな「ゆるしの物語」

水の精クリュティエは、ひまわりになったって言われる。

ひまわりは、明るいイメージがあるけど、神話はちょっと違う。

太陽神ヘリオスを愛した水の精クリュティエ。

けれど彼は、別の女性レウコトエに心を奪われてしまう。

裏切られた愛に傷ついたクリュティエは、レウコトエの秘密を父王に明かし、彼女を死に追いやってしまう。

けど、ヘリオスは、クリュティエの元に戻ることはなく、残ったのは、愛を失った深い喪失感と罪悪感。

クリュティエは、食べることも、話すこともやめ、大地に身を伏せたまま、毎日ただ、空を行く太陽を見つめ続けた。

やがてその姿は、ひまわりの花へと変わったという。

 

この神話は、悲恋の物語として語られることが多いけれど、もしそこに、赦しという視点を添えるなら、まったく違った色を帯びて見えてくる。

クリュティエは、誰かを深く傷つけた。

そして、自分の中にも許せない感情を抱えていた。

けれど彼女は、逃げなかった。

苦しみのなかにとどまり、悔いを抱えたまま、なおも太陽を見つめ続けた。

それは、赦してほしいという祈りであり、自分を赦したいという願いでもあったのかもしれない。

赦しは、すぐにたどり着ける場所じゃない。

それは、心のなかに長く吹き荒れる嵐のあと、静けさのなかで、やっと芽吹くもの。

ひまわりは、ただ明るいだけの花じゃない。

その根は、涙と沈黙の大地に深く張られている。

だからこそ、太陽に向かって咲くその姿は、見る人の心をほどいていくんだよね。

赦しって、光を見上げる決意。

ゆるせない思いを抱えたまま、それでも一歩ずつ前に進む勇気。

クリュティエが変わったひまわりは、報われない恋の象徴ではなく、自分を取り戻すための祈りの姿だったのかもしれない。

赦せなかったあの日も、赦されなかった自分も、すべてを抱いて咲くひまわりのように・・・

今日もまた、私たちはそれぞれの光を見つめて、生きている。

そして、心のどこかで、小さな赦しの芽が、芽吹いている。