2020年から続く家族の他界
月の記憶の声を聴くと
本当の自分に出逢える!
「あなたの人生最悪!」という占い師一言から始まった占星術の探求
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我が家は、2020年から毎年のように、誰かを見送ってる。
親の年齢を考えると、それは自然の流れなのだとしても、夫の兄、弟の妻は、自分と同世代。
やっぱり人生について、死について、生きるということについて考えることになる。
そして、こんなにも続く喪失の体験は、過去の倉卒の体験を浮かび上がらせる。
感情の抑圧も、体力が必要。
なので、若い頃は力業で抑圧してきたことも、その隙間からあふれ出る。
母が亡くなって、星の遺言(命日のホロスコープ)を伝えようと思った時、やめてしまいたくなる時があった。
やっぱりこのテーマは、重いのだ。
そして、昔聴いた言葉を思い出す。
「仕事にするなら、花屋さんかケーキ屋さんがいいよ。だって、幸せな人がやって来ることが多いから。」
もっと、楽しいことに携わって、ノー天気に生きていきたい。
そう思ったことがるのも事実。
けど、これまでの自分の人生を振り返ってみても、死というものはとても身近だった。
私自身も、将来を約束した人を亡くし、死産を経験し、死亡率の高い病棟で看護師として働いてきた。
それらのピースが、人生の使命を指しているなら、死に関することをやっていくことは自然だし、ホロスコープを見ても納得できる。
今回、弟が妻を失って悲嘆に暮れている様子を目の当たりにすると、やっぱりここに関わっていきたいと思ってしまう。
理性はものすごく反対するんだけどね。
喪失の体験は、人それぞれなので、悲しみを比較することはできない。
しかし、幼少期に愛されて育っている人は、レジリエンス(回復力)が高いといわれる。
複雑な幼少期を過ごし、15歳から地元を離れて一人で生活してきた弟。
やっとできた家族、仲が良かった妻を見送ることは、私の想像を絶する、苦しさがあるだろう。
もちろん、何か特別なことができるわけじゃない。
けど、そこに寄り添いたいと思ってしまう。
それだけの知識やスキルはあるのか?
そう問われると、自信をもって頷けない自分がいる。
それでも、その悲嘆に寄り添う生き方を模索していきたい。