命にかかわる病気になったら、何を選択しますか?

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子供の頃から、弟は身体が弱かった。

夜中に度々、母が病院に駆け込んでた。

私は、ほとんど病気をしなかったけど、その分、身体に出るのは、大きな気付きが必要な時だ。

出産の時も、命の心配をされるほど、出血したり、手術時の出血が、予定量の5倍だったりと、生命を意識する出来事も、経験している。

それに加え、亡くなる人が多い病棟での、看護師としての勤務経験。

10代の時に、同級生が亡くなってしまうという経験など、いやでも、生と死について、考える機会が、多かった。

病気になる、ということについても、考えるのが日常だった。

 

病気とスピリチュアル

スピリチュアルな世界に触れ、病気は身体が発するメッセージということも、納得できることが、たくさんある。

心の状態がこうだったから、この病気になる。

正しく、生きていないから、病気になる。

だけど、安易な結び付けには、納得できないことがままある。

死に至る病気や、永く闘病することになる病気、先天的な病気はどうなんだろう?

今を、正しく生きているとか、そうではないとかではなく、大きなハードルとして、持って生まれたものに様に感じる。

その病気に、どう向かっていくのかは、その人次第。

何が正解とか、不正解とかはない。

西洋医学的なものや、代替医療的なもの、いろいろな見解がある。

でも、どの選択をするのかは、その人の価値観だし、どの選択も、支持されていいと思う。

だって選択の、結果を背負っていくのは、本人だから。

 

手術を決めた時

私が、手術を決めた時、身体にメスを入れることは、とてつもない、罪悪だと、言われたことがあった。

今考えたら、手術を選ぶ前に、もっとできることがあったんだろうと思う。

もちろん、喜んでそうしたいとは思わないけど、手術という選択をした結果には、とても満足してた。

だけど、その根本にあったものに、蓋をするきっかけになったことも確かだ。

子宮系の病気を引き起こす、心理的背景は、ここでは割愛するけど、それを無視し続けた。

子宮という表現場所を失った想いは、様々な不調として、現れた。

一見まわり道のようにも見えるけど、私には、必要なプロセスだったのだろう。

人生は、どんな時でも、自分で選び、自分でその結果を引き受けることが必要なのだ。

看護師時代に書いた、看護観のタイトルも「自己決定を支える看護」だった。

 

20代の頃に出会った患者さん~Aさんの場合

治療をする側にいると、治療が、最も効果的になされるように、働きかけるのは、自然なこと。

でも、闘病している方の人生にとって、治療が最優先ではないことがある。

余命宣告をされた時、何を最優先に、生きていくのかは、その人の人生観。

私がまだ、20代だったころの受け持ち患者さん。

病状は思わしくなくて、治療に専念したとしても、完治はあり得ないという状況。

看護師としての私は、もっと休養をとったり、ちゃんと薬を飲んだり、治療に専念してほしいと思ってた。

でも、その方は、身体に鞭打って、仕事を忙しくこなし、入院中もずっと仕事をしているという感じだった。

とても、身体を大切にしているようには思えなかった。

ある時、その方とゆっくり話す機会があった。

今の病状で、これだけの仕事をこなすのが、身体によくないことはわかってる。

でも、治療に専念しても、わずかに余命が伸びるだけで、完治することはないこともわかってる。

だとしたら、残りの人生を、今の大きなプロジェクトにかけたい。

これが成功すれば、大きな収入にもなる。

自分が亡くなった後に残される、3人の子供たち、特に全盲で脚も不自由な末っ子にのために、少しでも多くのお金を残したい。

そんなことを、言われた。

自分の命を何に使うのか。

まだ若かった私は、そんな風に考えた事もなかったから、すごく衝撃的だった。

1日でも長く生きることを良しとして、延命治療を行っていた時代だったから、余計にその衝撃は大きかった。

でも、自分で命の選択をすることや、その選択を支えることって何だろうと考える機会になった。

結局その方は亡くなったけど、医師の余命告知より、数年も長い人生だった。

 

20代の頃に出会った患者さん~Bさんの場合

また、大きな病気になったことで、自分が本当にやりたい事に気づいた人もいた。

彼は、「病気が治ったらやろう」ではなくて、「今、やりたいことをやろう」という風に、考え方を変えた。

本来は、入院して治療をするのがベストという状況で退院。

若いころからの夢だったことに、挑戦した。

時々届く絵ハガキは、とっても楽しそうだった。

だけど、当時の私は、無治療で好きなことしてたら、寿命が縮むって思ってた。

だけど、医学的には信じられないような回復を遂げた。

そして、久しぶりに会った彼と話すうちに、こう感じた。

例え寿命が縮んだとしても、病気のことばかり考えて、不安で過ごす入院生活より、好きなことをしている方が、生きてる実感があるんじゃないかって。

 

決断をサポートすること

本人ではない、私たちができることは、その人が下した選択をジャッジすることじゃない。

その人が、考え悩んだ上で、選択したことを支持し、サポートすること。

もし、他の方法を進めるのなら、最後まで責任もってその人に寄り添うくらいの、覚悟が必要だ。

あなたがいいと思う生き方と違ったからと言って、闘病中の人をさらに追い込むような、発言は必要ない。

ストレスをかけるだけだからだ。

だってストレスをかけるのが、心にも体にも最悪だから。

闘病中の人を前に、悪かったところを探すのなんて、何の解決にもならない。

悪かったところが、あるに決まってるんだから。

だって、どこから見ても、完璧な生き方してる人なんていないでしょ。

命にかかわる選択は、本人が一番苦悩した結果だ。

周りの人にできるのは、その選択をサポートすることだけ。

どんな決断も支持され、サポートされるような世界に住んでいたい。

だから、そんな世界を創っていく。