みぶきえみのプロフィール~月の記憶の声を聴く心理占星家

こんにちは。 みぶき えみです。

広島在住の月の記憶の声を聴く心理占星家で、星の表現者でもあります。

占星家として10000人以上の鑑定をする中で、起業しいわゆる成功と言われるものを手にしているにも関わらず、 いつも焦りや不安を感じて、 幸せじゃない人が多いことに気付きました。

それは、周囲の価値観や社会の常識、親の期待に応える生き方を 選択し、ダメな自分を抑圧、足りないものを埋めるように頑張って来たから。

偽りの自分を生きてきたからです。

本当の自分を生きることは、 心からの喜びにつながります。 私自身も、まだまだ、 自分が掘った落とし穴に落ちることがあります。

けど、 皆さんと一緒に、 自由に生きながら自他貢献し、 幸せになる生き 方を実現したいと思っています。

みぶきえみの世界観ブログはこちらから

 

私が叶えたい夢

ひとりひとりが、「In the Pinkの世界」を創ること。

In the Pinkって?

ピンクには、可愛いイメージや、若さのイメージがある。

だけど、大人のピンクは、「In the Pink」

今日1日、自分の最善を生きること。

宇宙の法則を味方につけて生きることだ!

宇宙の法則に乗って生きれば、何もなくても、自分の内側からあふれ出す喜びを感じる!!

そんな世界を創りたくて、宇宙の法則を学び、自分で実験する毎日。

ホロスコープの星を通して、宇宙の法則をもっともっと、楽しみたい!

In the Pinkの世界を生きる

2度の中年の危機から学んだ、本当の自分を生きる方法

女性のキャリアを支える心からの喜び

私が大好きなオードリーヘップバーンの言葉のひとつ。

どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。

ありのままの一日、ありのままの人々。

過去は、現在に感謝すべきだということを、私に教えてくれたような気がします。

未来を心配してばかりいたら、現在を楽しむゆとりが奪われてしまうわ。

 

占星家としての私

4月23日年生まれ、太陽牡牛座、月山羊座、アセンダント獅子座。
 
占星術に出会った人は、「もっと早く出会いたかった」って言われることが多い。

もっと早く、自分の星を知っていたら、よりよく生きられたのに・・・

でも、それは違う。

若い時には若い時の、そして、年齢を重ねたら、重ねたなりの星の使い方があるからだ。

まわり道も、辛く苦しい経験も、すべてがあなたの才能を成熟させ、人生の目的に向かわせてくれるため。

だから、占星術は50代からが、面白いのだ。

多くの人に、大人の占星術の素晴らしさを伝えたいと思い、無料で学べるメルマガを配信中。

占星術講座では、単に知識だけではなく、星の象徴と人生をつなげる学びを大切にしている。

また、占星術コンサルでは、未来や運命を予言する占いではなく、自分の人生を歩んでいくための、自分の星の才能との対話を、大切にしている。

持って生まれた、たくさんの星の才能を思いっきり表現して、自分の星の世界を創り、星の物語を築いていきたい。

 

私が体験した宇宙の法則

◉ポジティブな体験

安定した、総合病院の看護師を辞めて、起業した時、ホントに何の知識もなかった。

今だったら、ふざけとんか!ツッコミたくなるくらい!

けど、毎日すごくリアルな妄想をして、すでに実現したかのように、ワクワクしてた。

その結果、次々に扉が開き、今の夫と電撃結婚、サロンは順調にスタートし、県外コンサルやセミナーができるようになり、年商も上がっていった。

けど、人はうまくいっている時は、深くを学ばないものだ。

◉ネガティブな体験

「いつも明るくて自信がある」

人からそう見られて、自分でもそれが嫌じゃなかった。

けど、ある時、自分が自分でなくなるような自己崩壊を体験した。

そこから、抑圧してきた自分に気づき、行動の全てが失う恐れからきていることに気づいた。

そこから、脳科学、認知科学、量子力学、心理学を学ぶ中で、学問は違い、使う言葉は違っても、同じ結果に辿り着くことに気づいた。
それは、大きな宇宙真理だからこそだ。

その学びをうまくいっていた時に当てはめると、腑に落ちることがたくさんだった。

さらに、この自己崩壊のような現実が、なぜ起こったのかにも気づき、思考と感情(意識状態)が、どのように体に影響するのかも、身を持って体験し、宇宙の法則のすばらしさを、改めて感じた。

私が体験したこと、学んだこと、この世代に生まれたことの意味を、分かち合う仲間と出逢い、In the Pinkの世界を生きたいと思う。

 

みぶきえみのプロフィール

思春期に出会った、占い雑誌、マイバースディ。

それが、占星術に興味を持つきっかけだった。

中学・高校と、星占いに興味はあったが、本格的に学ぶには至らなかった。

高校卒業後は、看護学校へ進学。

看護師になり、すぐに結婚・出産するが、1年半後には、2人の息子を抱えるシングルマザーに。

20年間看護師として、総合病院に勤務の後、2006年にカラーセラピーで、起業。

2008年、退職、電撃結婚、引っ越し、サロンの本業化と大きく人生が変わる経験をする。

占星術は、2010年から正式にメニューとして取り入れ、2012年からは、全国各地で鑑定、2016年の春分には、占星術専門サロンとしてリニューアル。

2020年に、母を亡くしたことをきっかけに、忘れていた記憶が次々と蘇り、自分が壊れていくような体験をすることになった。

その中で、人生の基盤であるはずの場所が、空洞であると気づいていく。

自分という命のルーツ、人との関わりの中で、抑圧されていた自分の感情や想いに出逢い、絵や文章で表現していくことで、自分を取り戻していった。

自分を素直に表現することが、自分の本当の価値を創っていくと実感している。

自分の星を表現することを、もっと追求したい!

みぶきえみの星物語

えみさんの世界観が好き❣

子供時代

大人になったら、月に行きたい!

「どうして、占星家になったんですか?」 この質問、本当によく聞かれる。

普段は、そんなこと考えたりしないけど、改めて聞かれることが多いから、ちょっと、振り返ってみた。

幼稚園の頃ころ読んだ、1冊の本。

その本には、月に向かう列車の絵と、「あなたの、子供の、子供の、子供の、子供・・・が、おばあさんになる頃に、月につきます。」みたいな文章が書いてあった。

だから、私は、こんな絵を描くのが好きなのかも。

子供の頃は、大人になったら月に行けるんだって思ってた。

夜空を見上げて、月を見ては、そこに行く日のことを、考えていた。

子供の頃は、病弱な弟がいて、「お姉ちゃん」の役割を求められてた。

だから、自分の気持ちを表現することなんてなくて、月に語りかけるのが好きな、そんな子供だった。

とっても、引っ込み案で、人見知りで、おとなしくて・・・ 本が友達みたいな感じだった。

今は、自分でも、想像できないけど(笑)

今考えると、これが、占星術との出会いだったのかも。

だけど、いわゆる星占いに出会うのは、もう少し後だった。

 

星座って、とっても不思議

小学生になって、11歳くらいの頃、天体観測の宿題が出たことがあった。

星座版をもらって、それを持って、暗くなった道路に出るのが、本当に楽しみだった。

宿題が終わってからも、空を見上げるのが、習慣になってた。

私が子供の頃は、今よりも、外灯が少なくて、もっと星がキレイに見えてた。

視力の問題かもしれないけど(笑)

星を見てると、何だか吸い込まれそうで、神秘的。

子供の頃、空想とかするのが大好きだったから、夜空を見上げながら、いろんなことを、考えて楽しんでた。

そして、知らず知らずのうちに、星座や天体の神話の世界に、引き込まれていくことになったのだ。

 

雑誌・マイバースディ

星を見ることが大好きになっていた、子供の頃。

思春期に、この雑誌に出会う。

マイバースディ。

私たち世代の占い雑誌のバイブルだ。

創刊号は、私のお誕生日の頃で、確か、牡牛座特集だったので、とっても印象的だったのを覚えてる。

2012年に発売された、大人のマイバースディ、もちろん買っちゃいましたよ。

マイバースデイは、いろんな心理テストやおまじないなんかも載ってた。

そこで星占いに出会うことになるのだ。

太陽星座以外に、月星座や金星星座があること、ホロスコープの作り方など、毎月熱心に読んでた。

そして、どんどん、星占いの世界に入っていった。

この時は、それが、占星術っていうものだって、よく知らなかった。

同じように、星占いが好きな友達と一緒に、発売日には、雑誌を買った後、近くのハンバーガーショップによって、あれこれ話してた。

もし、星が人の運命を知っているなら、どうして、こんな状況に生まれてきたのかを、知りたいと、本気で思ってた。

星占いはを、人生を知るための、手掛かりのように感じていたのだ。

 

あなたの人生最悪ですね!

高校生になって、本格的に占星術に興味を持った私は、いつか鑑定してもらいたいと思うようになった。

当時、人生のどん底だったので、どこかに救いを求めたい気持ちが、強かったのだ。

でも、広島では、鑑定をしてくれる占星術師さんを、見つけることができなかった。

どうやって見つけたのか、忘れてしまったけど、岩国の米軍基地の近くで、鑑定している方を見つけた。

早速、電話で予約をした私は、とっても楽しみに、地図を片手にその場所へ向かった。

そして、衝撃的な一言を告げられたのだ。

「あなたの人生最悪ですね。」

自分でも、最悪だと思っていた時期だったので、もう立ち直れないほど、落ち込んだ。

占星術が、唯一救ってくれるものではないかと思って、期待していたからだ。

今にして思えば、18歳の子供に、そんなことを言うなんて、占星術師としてというより、人としてあり得ない。

でも、その時は、「やっぱり・・・」という、絶望感でいっぱいだった。

そして、もう占星術のことを、考えるのはやめようと、思いながらも、こんな疑問も頭から離れなかった。

星は本当に私の人生を最悪だと言ってるんだろうか?そこに救いはないんだろうか?

 

やっぱり占星術が好き!

そのうち、進路を決める時期が来て、看護学校に入って、バタバタと忙しい毎日が過ぎていった。

あまりの忙しさに、占星術のことを少し忘れかけている自分。

その時は、手放すというより、忙しすぎて考える暇がなく、次第に占星術から遠のいて行ったのだ。

この後、就職・結婚・出産・離婚の中で、本格的に占星術を学ぶということは、無くなっていた。

そして、次男が、1学期で高校を辞めるといい出した時、オーラソーマとの出会いとともに、再び占星術とも出会うことになったのだ。

少しずつ占星術を学ぶにつれて、過去の記憶が蘇ってきた。

そして、自分でも意外なくらいの速さで、占星術の知識を吸収していった。

まるで、乾き切ったスポンジが、水を吸っていくように。

それから、占星術は、私の人生に、なくてはならないものになっていったのだ。

 

起業までのこと

高校をやめた息子が羨ましい?!

実は、私の中では、重大決心をした、なんていう感覚はなかった。

看護学校を卒業してから、ずっと同じ病院で、働いてきた私には、辞めるという選択を、考えたことがなかった。

でも、漠然と、何だか、このままでいいのかな・・・と、思い始めた時期が、あったのだ。

その頃、次男が、高校に入ってすぐに、学校を辞めると言いだした。

それを聞いて、「せっかく、進学校と、言われるところに入ったのに、違うと思ったら、やめるという決断するなんて、羨ましい。」と思ってしまったのだ。

普通なら、あり得ない。

高校を、辞めるという息子を、母親が、羨ましがるなんて(笑)

でも、その時の感覚は、鮮明に覚える。

その後、彼の今後のために、いろいろと調べている時に、オーラソーマに出会い、同時に再び占星術に出会ったのだ。

 

自分の人生を、歩くために、決断したい

オーラソーマに出会った私は、自分の人生の中で、初めてであった、宝物を見るように、ボトルを見ていた。

最初は、ナースとしてのライセンス以外に、何か資格が欲しいと思って、受講しただけだった。

けれど、オーラソーマは、今まで学んできた、資格をとる講座とは、違っていた。

今までの人生にはなかった、未知の世界に放り込まれたのだ。

セミナー初日が、満足できるもので、あったかというと、そうではなかった。

しかし、何だかわからない、感覚があった。

初日に、選んだ、74番ボトルを、こんな、つたない色の言葉で、表現しました。

「自分の、仕事のステージを、広げるために、知識がほしいと思って来たけれど、本当の、自分の人生を、歩くために、決断したいと、思っている。」

初日に感じた、この思いこそが、数年後、占星家として、実現していくことになる、私の新しい道だった。

当時は、この美しい世界を、ひとり占めにしたいと、思ってた。

なので、友達が遊びに来ると、ボトルは片付けていたし、大切な宝物を、誰にも見せたくないという、気持ちだった。

コンサルテーションをするとか、ましてや、仕事にするなんていう発想は、微塵もなかったのだ。

そんな私が、あるきっかけで、看護師をやめることを考え始めた。

 

決断をサポートするために現われる悪役

起業したいと思った頃、私は、看護師として働いていた。

子供のころから、憧れて・・・というわけじゃなかった。

今にしてみれば、「手に職をつけて、安定した場所で働く。」という、母親の価値観に沿った、生き方をしていたのだ。

常識的に考えたら、とても、恵まれた職場環境の中で、苦しいという思いが、強くなっていったのだ。

その時の、上司の一言が、退職を決意させました。

「組織は、正しいかどうかなんて求めていない。職位が上の人の立場を、守るところだ。」

この言葉と一緒に、頭によみがえったのは、子供が退学した時に感じた、羨ましいという気持ちだった。

何か違うと、感じ続けていた、違和感、違うと思ったら、やめていいんだという思いが、素直に流れてきた。

それは、母親の価値観から、本当の意味で、抜け出すことでもあった。

同時に、私自身が、手術をすることになって、生きることや残りの人生の質についても、改めて考え始めていた。

この違和感を持ったまま、残りの人生を、過ごしたくないという思いが、オーラソーマのお仕事をしたい、という思いに、繋がっていったのだ。

でも、その頃はまだ、占星家になるということは、全く思っていなかった。

ただ、再び出会った占星術が楽しくて、18歳の頃に比べると、学ぶための本も沢山ある環境に、満足していました。

 

経費ってもらえるんじゃないの?

私の周りには、自営業の人が、いなかった。

お金は、お給料でいただくものだと、思っていたのだ。

なので、自営で仕事をするということが、どういうことなのか、全く、分かってなかった。

たとえば、領収書は、まとめて、どこかに出すと、同額の、お金がもらえるくらいに思ってた。

今だったら、「どこの、誰が、くれるんかい!!」と、突っ込みたくなる。

でも、無知だったからこそ、安定した職をやめるという、決心ができたのだ。

初めは、看護師の仕事をしながら、休みの日に、コンサルテーションをしていた。

いつも、誰かが、来てくれていたので、サロンを開いても、たくさんの人が、来てくれるという、勘違いが生まれた。

そして、何の経験もないのに、自営のお仕事が、うまくいくと、信じて疑わなかったのだ。

もし、軌道に乗らなかったら、なんてことは、全く考えてなかった。

大学受験を、控えていた息子も、合格することが前提だった。

息子が、家を出ていくので、私だけのサロンができると、とっても楽観的に、考えていたのだ。

もし、息子が、浪人することになったら・・・

もし、私大に入ることになったら・・・

そんな不安は、全く感じなかったのだ。

息子は、無事に大学に進学し、私は、看護師をやめて、晴れて、サロンのオーナーになったのだ。

サロンのオープン当時は、看護師時代に学んだアロマと、私に新しい決断をくれたオーラソーマのサロンだった。

ここに至っても、まだ占星家になるというイメージは、持っていなかったのだ。

 

サロンの名前を考えなくちゃ!!

サロンを初めて最初に考えたのは、サロンの名前どうしよう?

今の私が見たら、ホントは、もっと経営とか、やらなきゃいけないこと、山ほどあるだろう!って言いたくなるけど。

けど、当時の私の関心事は・・・

サロンの名前
サロンに飾る絵
サロンのカーテン
サロンのテーブル・・・

おままごとのような感覚だった。

サロンの玄関には、この絵を飾るっていうのは決めてた。

月が美しく描かれた絵。

サロンの名前は、ホロスコープから考えるとアセンダントやその支配星を見る。

私のアセンダントは獅子座で、支配星の太陽は、MC上で、MCルーラーの金星と合。

何もしなくても強いアセンダントを利用するって方法が正しい。

けど、私は月を選んだ。

12ハウスルーラーで6ハウス、ノーアスペクトで、アウトオブバウンズの

弱々しい月

=火星/天王星でもあり、傷つくことを経験してきた月。

そこに寄り添いたいと思った。

月が好きで、本も集めた。

一番古いのはこれかな。

月が大好きで、月の女神の名前でもある

Cynthia-シンシア

をサロンの名前にした。

シンシアは、アルテミスの別名。

私のホロスコープで、木星=月/アルテミスなのも気に入ってた。

 

起業してからのこと

お客さまの行列は、どこへ??

看護師をしながら、開業した私は、休みの日は、いつも誰かが、コンサルに来てくれていた。

もともと、コンサルができる日は、月に4回程度。

その上、友達が来てくれるわけだから、雑談も始まり、ランチに行って、あっという間に1日が終わる。

それを、「いつもたくさん、お客さまが来てくれてる。」と、勘違いしたのだ。

今考えたら、あり得ない。

3月に退職して、4月は、ご褒美セミナーで、県外巡り。

5月に、本格スタートした時には、お客さまの行列が、できているという、イメージだった。

そんな、都合がいいストーリー、今の私が見たら、「もっと、現実見ろ!!」と、あきれながら、怒ってたけど()

どんなに待ち続けても、お客さまは、1ヶ月に3名~5名さま程度。

本業にする!と、意気込みだけはあったものの、1ヶ月の収入は、2万円程度。

お客さまの行列という、幻想が敗れても、このお仕事をやめようとう迷いは、いっさい起こらなかった。

 

起業の夢が、結婚生活に変身

起業して、さぁ、仕事を始めるぞって思った時、お客さまは、いなかった。

そんな時、4月に知り合った、今の夫が、経理のこととか、いろいろ教えてくれていた。

私も、初めてのひとり暮らしで、暇を持て余してたので、誘われれば、お食事に行ったりしてた。

そして、7月末に付き合い始め、1週間後には、結婚するという流れになり、11月には、一緒に暮らし始め、12月には、入籍。

看護師をやめたら、サロンを始める、と思っていた私は、人生で初めての、専業主婦になったのだ。

毎日、好きなことして、1日を過ごす生活。

家事も、そんなに苦痛ではなく、専業主婦に向いているんだと、思ってた。

でも、ただ単に、物珍しかっただけだと、気づくのに、多くの時間は、必要なかった。

この間も、一応サロンは、やめてはいませんでしたが、開店休業状態。

1ヶ月の売り上げ、2万円程度の記録は、続いていた。

主婦生活に飽きた頃、あの思いがやって来たのだ。

私の人生、このままでいいの?

 

再びやってきた、私の人生、このままでいいの?

主婦生活になった私、生活に不満はなかった。

けれど、何だか物足りない感じ。

そんな私に、転機がやってきたのは、結婚してから、約1年後。

退職してから、結婚するまでの間に、オーラソーマのレベル4という、論文を書き上げて、提出してた。

1回で、合格することは、ほとんどないという、この論文。

当然、1回めの提出では、不合格。

すごく、大変な思いをして書き上げた物だったので、しばらくは、ちょっとへこんで、書き直す気にならなかった。

そのうち、結婚・引っ越しが重なり、パソコンに保存していた、論文のファイルが、消えてた。

かなりの量の文章を、打ち直す気にもならず、なかったことに(笑)

そんな、私のものとに、届いたのは、1通の手紙。

論文の審査方法が変わるから、現在、書きなおし中の人は、2010年10月(だったかな・・・)までに、合格しないと、新しい、システムへ移行する、というもの。

ここで、「せっかく、書きあげたものが、無駄になるなんて、もったいない!」っていう思いに火が付き、論文の書き直しを始めたのだ。

論文を書くという決意は、本を読むことにも火をつけた。

占星術とオーラソーマについて、書こうと思っていた私は、占星術関連の本も、たくさん探した。

10代の頃とは比べ物にならないくらい、日本語の本が沢山。

毎日、その本を読むことで、眠っていた占星術への思いが、動き始めた。

それと同時に、ホロスコープを見てほしいという友達や、友達の友達が増えてきたのだ。

口コミで広がり、開店休業状態のサロンが、息を吹き返したように感じた。

また、適当に、日々のことを、書いていたブログは、200人程度の、読者さんしかいませんでした。

ブログタイトルも、天使のお散歩。

いったいなんのブログなのか、さっぱりわかりらない。

ブログの、ノウハウを、学んだわけじゃない。

でも、もっと、占星術やオーラソーマのことを、書いていこうという、思いは持ち始めていた。

この時期、私にとっては、占星術的にも、外に発信していきたいという、エネルギーが、高まる時期だったのだ。

また、文章を書くことも司る水星が、大きな影響を受けていたので、この決断になることは、自然だった。

そして、論文に合格した後、さらなる扉が、開かれたのだ。

 

自分で作り上げる占星術講座

論文に合格した頃、よく来てくれていた、お客さまのひとりが、「オーラソーマを、えみさんから学びたい!」って、言ってくれた。

その頃は、オーラソーマの先生になるなんて、考えてもいなかったので、当然、他の先生を進めた。

でも、「えみさんが、先生になるまで待つ。」って、言ってくれたのだ。

それがきっかけで、いろんなタイミングも良く、オーラソーマティーチャーになったのだ。

それと同時に、占星術の講座も始めた。

テキストも、授業の雛型も何もない、占星術講座は、まさに自分が創りあげていくもの。

初めて占星術を学ぶ人に、何をどのように伝えることで、もっと興味を持ってもらえるのか、本当に日々、試行錯誤の繰り返しだった。

この授業を組み立てていくという作業は、看護師時代、看護教員養成講座で学んだことが、とても役に立った。

人生、無駄なことなんて何もないという実感を持ったのも、この時期かも。

ここから約3ヶ後に、月収30万円という壁を、超えることができたのだ。

何のノウハウも知らなくても、お仕事にすると決めて、行動すれば、短期間で、本業といえるまでになる。

この間、どんなことをしていたのか・・・

集客のノウハウ、マーケティング、何も学んでなかった。

どうしたら、お客さまに、喜ばれるだろうと思って、やっていたことが、偶然にも、その、ノウハウに近いものがいくつもあったのだ。

簡単なことだけど、コツコツと地道なことを、やり続けた。

魔法のように、あっという間に、うまく行ったなんてことはないのだ。

そうして、2012年には、全国で占星術のセミナー・コンサルができるようになったのだ。

では、何をコツコツやったのか・・・

 

書くこと、伝えることが本当に楽しい!

起業してから、本業といえるまでに、コツコツ積み重ねてきたことは・・・

私は、書くということが好きだ。

手紙のブログも、書くことが全く苦痛じゃなかった。

なので、お客さまにメールをしたり、手紙を出したり、ブログを書き続けたりしていた。

お返事もたくさんいただけるように。

これらが、とても有効なことだと知ったのは、後で、お仕事のノウハウを学んだ時だった。

ノウハウでは、○日後、○日後にメールをすると、お客さまに喜ばれるという教え方だったけど、私がやっていたのは違う。

可愛い切手が出たから、手紙を書くとか、そろそろ、トランジットの天体が、○○さんに影響するなと思ったら、メールをするというもの。

星の力を活用してほしい、占星術のコンサルを、受けた時の、高揚感だけで、終われせないでほしいという思いだった。

その結果、お客さまから、お返事のメールや手紙をもらうことも多く、この仕事にますますのやりがいを感じていた。

そして、占星術のコンサルの件数は、日を追うごとに増えていったのだ。

起業当初は、メニューにもしていなかったもの。

占星家という、資格があるわけじゃない。

なので、どのタイミングで、そうなったのか分からないけど、私は、プロの占星家と呼ばれるようになっていた。

 

占星術だけのサロンを作りたい~オーラソーマを手放す決意

気持ちは固まっていたものの、最後の決断ができなくて、珍しく悩んでた。

そんな時「占星術の方がいいと思うよ。」「オーラソーマ必要ないじゃん。」なんて、いろいろと励ましてくれる人もいた。

夫は経営者なので、収支のことも話したし。

オーラソーマだけでの収入が、全体の5割だったので、売り上げが落ちることも、覚悟しなくちゃいけなかった。

でも、いろんな事考えず、私はどうしたいって思った時、占星術だけでやっていきたいっていう想いが、明らかだった。

私の中では、大きな大きな決断。

だけど、何より衝撃だったのは「オーラソーマもしてたんですか?」っていう言葉。

私の中では2本の柱だったけど、周りの目は違ったのだ。

占星家として、見てくれていた。

そして、思い切って公表した時にも、ずっとオーラソーマのコンサルに来て下さってた方が、こんな風に言ってくれました。

「じゃ、これからは占星術のコンサルに行きますね。」

「えみさんがするんなら、占星術でもオーラソーマでもいいです。」

そんな心強い後押しも受けて、2016年3月、シンシアは、占星術サロンとして、リニューアル。

精力的に県外出張などもこなし、忙しい日を送っていたのだ。

好きなことを仕事にしているという高揚感が、体が疲れてきていることや、自分にプレッシャーをかけていることを、かき消していたのだ。

 

母の死をきっかけにした体験

2020年の初めに、母を亡くした。

その後、半年くらいは、元気に過ごしていた私が、突然、精神的にとても不安定になり、自分が壊れてしまうという経験をしたのだ。

今まで、記憶にあがってこなかった、様々な出来事と感情。

それらが、一気に押し寄せてきたのだ。

辛すぎる経験の記憶は、人を守るために、潜在意識の奥深くに押しやられて、無かったことにする。

それを強く実感したのだ。

生き埋めにされた感情は決して死なない。

このフレーズが、気になっていたのも、自分の中の、生き埋めにされた体験と感情が、あったからだろう。

子供の心では、耐え難い経験。

それを全て明らかにする必要があったのだ。

占星術的には、人生の中で、最大とも言えるくらい、とても大きな表示の時期だった。

全てのトランスサタニアン(天王星・海王星・冥王星)と土星が、ライツ(太陽と月)に影響し、30年に一度のセカンダリープログレスの月回帰も、起きてた。

この強烈な時期表示が示す経験を、する必要があったのだろう。

でも、どう向き合い、何を選択するのかは、私の意志だ。

この経験は、自分の人生を、根底から見直すことになった。

最も苦しい時期は、この経験の意味を、考える余裕もなかったけど、夫や友達に支えられて、ここまで、歩いてくることができた。

まだまだ、渦中といえる時期だけど、きっと、大きなギフトになると、確信してる。

星の遺言(命日のホロスコープ)を届けたいと思った理由

そして、母の死をきっかけに、抑圧されていたものが噴き出し、急激な心身の不調に襲われた。

その頃に出逢ったのが、ジョーディスペンザ博士の著書で、内容は量子力学な考え方とその実践がデータと共に書かれているものだった。

思考と感情を整えることで、病気からも回復するという考え方に引き付けられた。

そして、徐々に自分の健康状態が良くなる中で、ホロスコープを通して、健康問題に取り組みたいという思いが芽生えた。

ホロスコープを通して、健康問題に取り組みたい

健康をつかさどる神 ヒュゲイア

人の死に関わることでも、健康問題にかかわることでも、結局は看護師という経験に意味を持たせる。

人生の流れって、不思議だなって思う。

 

占星術コンサルで、私が大切にしていること

私は、メール鑑定は行っていない。

それは、ホロスコープの星の力を生かす方向性は、コンサルテーションという、対面での中で生み出されるものだと考えるから。

今とは違う未来を描き、方向性を見つけようとする時、私一人ではできない。

あなた自らの意志が必要なのだ。

何をすれば成功するのか?

私が心を込めて打ち込めるものは何か?

それが知りたいといわれる方もいる。

でも、占星術は答えを持っていない。

あなたが自ら答えを出すための、ヒントや行動を起こしやすい時期を、知ることができるだけ。

例えば、あなたのホロスコープが、事務や経理に向いている傾向があるとして、だけど、本当にやりたいことは別のこと。

そんな時どうする?

「やっぱり占いは当たらない」って、なってしまっては、本末転倒。

あなたがやりたいことのために、使える星の才能は何かを、一緒に探して行くことが、占星家の役割だ。

実際、話していくうちに、思いもしなかったことが口を突いて出たということや、話しながら本当に大切なものに、気づいたといわれる方は多いのだ。

あなたはこんな質ですよっていう鑑定ではなく、あなたの人生に、星の才能をどう生かしていけるのかを、考えていきたいと思ってる。

その場で、しっかりとホロスコープに向き合い、出てきた答えをメモすることの方が、鑑定メールを読むより大切なこと。

コンサルを機に、少しづつ選択が変わる。

ひとつひとつの選択は、小さなものでも、その積み重ねが、人生の質を変えるのだ。

私が、大好きな占星術を、お仕事にしているのは、40代の決断があったから。

そして、絵を描いたり、物語を書いたりしているのも、今経験していることの意味を、ひも解いていけたからだ。

自信なんてないし、うまくいく保証もない。

信じていたのは、自分自身。

 

占星家としての想い

最近、占星家にできることって、何だろうって考える。

未来を予言することでも、 人生を言い当てることでも ないのは確かだ。

ホロスコープの表示には、 素晴らしいものが沢山ある。

だけど、あなたが、 「それは違う」って思ったら、 その力は発揮されない。

どんなものを持っているのかより、 持っているものを肯定して 受け取れるかどうかなのだ。

だとしたら、 その素晴らしい宝物を、 ちゃんと見ることができるように、 自分と対話する場を作ること。

それが、最も 重要な占星家の仕事だ。

ひとつの星の象徴には、 無限の現実がある。

何を選び、どう使うのかは、 あなたの選択次第。

そして、占星家の仕事は、 出生図が表す可能性を、 限定しないこと、 諦めないこと。

たとえ、あなたが 否定したとしても。

トランジットやセカンダリー、 ソーラーアークが表す時期表示に、 何を経験したのか、 それは、どのような 記憶となって、 蓄積されているのか、 そこを紐解き、 出生図の可能性を、 使えるようにすることなのだ。

占星家には、多くのことは できない。

あなたが、 自分の星と対話できるよう、 心の中にも、実際の場としても、 スペースをもたらすことだけだ。

占星術なんて 意味がないって言う人もいるけど、 私にとっては、 人生を支えるほどの 意味があるものだ。

人は、 誰かに言われたことより、 自分で納得して、 選択したものには支えられる。

こうありたいという希望も、 見えてくるからだ。

だけど、誰かに言われたからという理由で、 行動する根底には、 ちゃんとしないと、 悪いことが起こるっていうような、 思いもあるはず。

怖いものから 逃れるための行動は、 心身を蝕む。

怖いこともあるし、 不安になることもある。

だけど、そんな時に、 「自分であること」が、 拠り所になるなら、素敵だと思うのだ。

そんな風に、 自分を受け入れられるような、 対話をするスペースをもたらす、 占星家になりたいと思ってる。

 

星の表現者として生きる

コンサルテーションは、誰かのために、役立ちたいという想いがある。

学んだことや、自分の体験を伝えていきたい。

それも、とっても大切なことだ。

でも、それと同時に、私自身は何をしたいのかも、大切だと思ってる。

自分に、今幸せでいるかどうかを問いかけること。

内観することで、どんなふうに生きたいのかを、イメージできること。

今は、「人生は0表現すること」という感覚が、しっくりきている。

本当の自分を表現することは、大きな喜びにつながるからだ。

受け取った感情のままに、色を描き、言葉を紡いでいくことで、自分でも気づかなかった自分と出逢う。

何度体験しても、それは、とても素晴らしい瞬間だ。

その積み重ねで、独自の星の世界観で、世の中を見ることができるだろう。

そこで、過去の意味を理解したり、未来のビジョンを描いたり、そして何より、今この瞬間を生きることで、私だけの物語を創っていけるだろう。

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