スピリチュアルな二極化を叫ぶ人が、嫌いだ!

みぶきえみです。


毎年、今年は二極化が進むので・・・・みたいな記事が、結構沢山ある。

でも、その年に限ったことじゃなくて、もっとずっと前から、「目覚めた人」と「目覚めない人」の、二極化の記事は多い。

目覚めた人は、ますます引き寄せの力を使って豊かになり、目覚めない人は、苦行がやって来て、生きづらくなる、みたいな感じ。

だけど、それって本当??

人生って、そんなに単純なものじゃないんじゃないかな。

もういいことしか起こらないとか、あり得ないと思うし。

愛の中で豊かになっていくこともあるけど、痛みを知っているから優しくもなれる。

二極化を叫ぶ人の、何が嫌いなんだろうって考えてみた。

極って、ざっくりいうと、正反対の性質だ。

どちらが悪いというわけではなくて反対のもの。

二極化を叫ぶ人は、二極にいい悪いの意味付けをして、自分は、良い極にいるってこと前提だ。

そして、自分の考えと違う人を、反対の極にいる人として見下す。

「あの人、わかってないんだろうね~」「あの人、波動が低いよね~」っていう感じで。

単なる普通の人なのに、自分が上にいると勘違いして、人々を裁き、見下すのだ。

それはむしろ、自分の中に強い自己否定感があるから、起こさせる行動だ。

目覚めた素晴らしい人なら、他人の過ちや間違いに対して、皮肉を言ったり、責めたりしないんじゃないのか。

私はそう思う。

そして、あたかも、自分がいる極が、ノアの箱舟でもあるかのように、こう言う。

「このサロンに来てくれた人は、大丈夫」

「このブログにたどり着いた人は、大丈夫」

そんなわけないじゃろ。

「私が正しい」という思い込みが、行間から強く感じられるから、スピリチュアルな二極化を叫ぶ人が、嫌いなんだろう。

人生、もがいたり、葛藤したりしながら、自分にとっての、最もいい方向を探っていく。

そして、決断の結果に責任をとり、持っているものの豊かさを、感じ取れる感性を磨く。

目覚めるっていうのも、何を基準に考えるのかによって、違ってくるだろう。

もし、二極化とかいう人が、本当に目覚めていて、愛のレベルにいるなら、対極の人を、見下したり、バカにするんじゃなくて、愛を与えるだろう。

物質的なことに、価値を置きすぎた人が、見えない世界のことに、興味を持つことも、スピリチュアルな世界で生きてきた人が、畑を耕すことも、その人にとっては、目覚めなんじゃないかと思う。

「私は、二極化のいい方にいるから、好きな仕事だけしてて、苦労せずにいろんなものを引き寄せて、本当に素敵な人生だ」

それが素直な気持ちで、現実が伴っているなら、素晴らしいと思う。

でも、そんな人が、匿名で中傷メール送ってきたりするから、本当にそんなことが起きてるとは、思えないんだけどね。